うちの親と一緒だ

爆笑問題田中&もえ夫妻に子供ができたニュースを聞いてほっこりした気分になったんだけど、それぞれの年齢が51歳39歳で、弟ができた時のうちの両親の年齢と全く一緒だった。

一般的には両方とも高齢出産だし当時もそう思ってたけど、二人を見たら、ああ、うちの親も若かったんだなー、と思った次第。

 

2016~2017

10月のイベントまで一人家事回しが続き、イベント後少し一息ついて11月末の展示、と同時になぜかざざざっと仕事依頼が続き(ありがたい)、これは12月やべえな、と思っていたらやっぱりやばかった、缶詰状態2週間ちょい。隙間にクリスマスイベントの準備をちょちょっとして、いざクリスマス!と思ったらノロに倒れ、下痢が続きながら無理やり食べ、片付くと思った仕事がだらだらと片付かずギリギリ28日まで仕事プラス娘発熱、、、それでも無理やりスーパー銭湯行ってマッサージ受けたら体が悲鳴をあげました。

ああ、ザ・忙殺最後の3ヶ月。

忙しかったけど、体ゴリッゴリだけど、充実していた。

仕事の合間に展示ができたのが大きかった。ここ数年モヤっとしていたものが晴れた。自ら動くしか打破する方法はないのね。

フリーになってから、子供を産んでから一番、自分の中でのバランスが取れてると思える瞬間が多かった気がする。

とにかく保育園、頑張って通ったチビら、主夫に感謝。

 

29〜30日は実家に帰り、31~1日は夫実家。2日に大掃除をして、スッキリした我が家で家族だけで昼に買ってきた鱒寿司(スーパーに売ってた)と伊達巻と唐揚げセットをだらだら食べてる瞬間にようやくゆったりした気分がやってきた。

3日は最近知り合った、近隣の作家さん&カフェの店主ご夫婦が遊びにきてのんびり新年お茶会。

 

2016年は、前半なんだか自分のことでぐるぐるしたけれど、夫の大きな動きに巻き込まれながら新しい出会いがたくさんあって楽しかった。それが刺激になって自分の制作にも身が入った感じがする。ぐるぐるしたことと合わさってちょっと分厚くなった1年だった。

あとラジオをたくさん聞いた下半期だった。radikoタイムフリー万歳!

 

2017年は冒頭に本づくりの大仕事。それがどう転がるかな。あとは自分の勝手な制作を進めて、外に出てくことをしようと思います。

 

 

 

cocoloni.jp

よくわかるなあー。

『「才能なんていうことにかまってる時間はない」という感じです。今から天才にはなれないことは間違いありません。追い越されても、絶対に敵わないなと感じ るものを見ても、歩みを止めずに、生きてる間に自分がどこまで上手くなれるか、いいものを作ることができるのか挑戦し続けること以外に、自分の取り柄はな いと思っています。ダメなものや失敗作ができてしまったとしても、手を動かし続けること、それだけが取り柄です。』

 

そう!そうなんだよー!!!同じ思いです!ガッテン!

ひさしぶりにえいが

最寄りのツタヤはなくなるし、楽天レンタルもなくなっちゃうし、映画を見るハードルが…かといって見放題的なものにするほど見る時間はなし。

 

「凶悪」

はーこわおもしろかった。瀧&リリー、なんなんだろこのおじさんたち!なんなのこの幅のある役者的な存在。ずるい、あんなにふざけたかんじなのに。そして山田孝之ね、やっぱ、なんか異彩をはなつ俳優さんよね…

 

「そこのみにて光り輝く」

くっらかったけど、役者が全員はまり役ですごかったな…そんなに興味がなかった菅田 将暉がすっごく上手でびっくりしたわ。思ってみれば「ごちそうさん」のときもなんだかうまい子だとは思っていたが…

綾野剛はあーゆうかんじ似合うし、池脇さんの体つきとか、高橋和也の生理的に無理なかんじとか、あやしい火野正平とか、いいもん見た。

 

ゴジラVSキングギドラ」「モスラVSゴジラ

チビ用に借りたやつ。キングギドラは劇場で見た記憶があって、ラスト水中で目をさますゴジラからの、エンドロールのバックでゴジラがずーっとブクブクいってるのを見て子供心にかっこいい、て思ったの思い出した。

モスラはO林と「あれ?国会議事堂にまゆつくるやつじゃないの?」と言っていたら、それは92年の「ゴジラVSモスラ」で、こっちは65年「モスラVSゴジラ」。ややこし。たしかに私がみたことあるやつにザ・ピーナッツは出ていなかった…

モスラVSゴジラ」はなんかやっぱちょっと牧歌的というか、最後あっさり終わって拍子抜けだったよ。ゴジラもかわいいし。

 

矢野顕子+糸井重里

矢野顕子ふたりでジャンボリー糸井が書いて矢野が歌う1101曲(ながい)

へ行ってきた。

清水ミチコのさとがえるぶりなので、3、4年ぶり?か?生あっこちゃん。

糸井重里とおしゃべりしつつ、さっと歌って、またおしゃべりして、、のなんと3時間!

曲ができた経緯とか、詞の理解の仕方が全く違ってたりとか、つくっていた当時の話だとか・・

西武のCM(「不思議大好き」)をはじめてみたけど、度肝を抜かれたわ。。あんなのがテレビで流れていたとは…あれを見た後、今のCMをずーっと見てると、ほんとなんか、殺伐としているというか、説明多すぎというか、、あの時代の西武ってほんとうにキラキラしていて貴重な時代だったんだなあ(と、隣に座っていた母はドンピシャ、この時代に西武に入社していたのだった)

いい時代もだんだん息苦しいような時代になってきても、絶対厳しい人たちなはずなんだけど、それを見せない明るさで「楽しくいくしかないのよ!」というパワーを感じて心打たれるライブでありました。

新曲「super fork song returns」なんてさ、笑っちゃうけどおもわず涙がこぼれましたよ。そのうち音源になるかな。

坂本家のスタジオ子育て話も良かったな。

は〜〜行ってよかった!

 

白馬の旅、振り返り記録

怒濤の7月いっぱいを終え,8月1日から4日まで白馬へ。

1日目。前日までバタバタしていたので、準備も中途半端、部屋はぐちゃぐちゃ状態だったので掃除などしているうちに出発が10時半になってしまった。寝かせながらいこうと思っていた娘は早々に目を覚まし、チャイルドシートにじっとしていないのでヒザの上で動き回るわギャーギャーいいながら双葉SAで昼食。さすがに息子はひどくぐずることもなく、PCでナウシカをみつつ、双葉から安曇野を経て寄り道なしで白馬まで。
美しい木崎湖や青木湖が見えると、白馬〜〜と鼻息が出て一同リラックス。15時半ごろ民宿山腰着。今回は双方の両親もきてにぎやかに2泊過ごす。

着いてすぐ、近所の立ち寄り湯へ。白馬へ来ると上げ膳据え膳&温泉。天国。温泉(大きいお風呂)が何より好きな息子は至福の日々。でもこの日の温泉は閑散としていて入っているのが私たちだけだった。息子は「もっと人のいる温泉がいいな」と言った。そうか「にぎやか」も重要なポイントだったのね…

息子は4回目の宿泊とありほぼ我が家状態、というか我が家よりリラックス。夜のBBQの火起こしを、おじさんのかたわらで手伝い、宿と庭を行ったり来たり、BBQが始まり、大人たちがわいわいやっている間、姿が見えなくなったと思ったら、ばあちゃんの部屋で2人でニュースをみていた…

BBQは宿の人が焼いてくれるし、とれたてのトウモロコシ、キュウリに自家製みそ、自家製焼き肉のたれ、トマト、やまもりおにぎり…といたれりつくせり。娘は直前まで体調を壊していたが、おにぎりに食らいついてじじばば驚嘆。米まみれになった末、早々に就寝。

雨がふってきたけれど、納屋の中なので快適。なにより寒いくらい涼しい。
息子ご所望の花火をやり、9時頃寝かしつけ,わたしたちも11時ころには就寝。

2日目。天気が怪しかったが、みんなで八方尾根へ。娘はじめてのキャリー登山。リフトにのると長袖でも寒い気候。足元にはたくさん花が咲いていて、あたりはガスっているし、ちょっと「あの世」感。いつも来る時期より少し早いから花の盛りだったのね。

景色は真っ白のなか、八方池へ向けて出発。娘は終始ごきげん、夫の背中で「フー!フー!」といいながらすれ違うひとたちの注目を集めていた。息子は途中まで意気揚々と先頭を歩いていたが,単調な木道になったとたん電池切れ。少し靴擦れもしていたようで、八方池まであと少しのところで断念。悪態をつきながら、泣きながらリフトまで下山。下山してソフトクリームを食べたらしゃっきり機嫌がなおり、登ってくる途中の出張牧場にてうさぎと触れ合って、とにかくリフトは執拗にかあちゃん(私)の隣に乗り、下山。2時近くになっていた。

そば屋でおいしいおそば。チビたちは天丼をわけあって食べる。

夕食までおのおのマッサージへいったり温泉へ。この日は家族+うちの父と地元の人が多い温泉へ。途中息子は車で寝落ちするも、起こしたら「ひとが…ひとがいっぱいいる…おんせん」と白目になりながら起きた。そこまで「人がいる温泉」が良かったのか…!!

娘は熟睡してしまい、人がいる温泉に入らず宿のお風呂に入れた(私は2回風呂に入った)。そこでなんと、娘、頭から風呂へダイブ。水が触りたくてしかたない娘を洗いつつ、止めつつやっていたら一瞬の隙をついて足の先まで沈んでいった。慌ててすくいあげて大泣き。焦った…!震えたーー!!石けんのついた手でプリプリの赤ん坊をつかむむずかしさよ!大泣きと共に宿の奥さんがすかさずおもちゃをもってきてくれ、気を取り直す。ありがとうございます…

夕食後は両家で飲みつつおしゃべり。この関係性でよくこんなに盛り上がるなあと思うんだが、向こうの父は人間できてる(人にあわせられる)&興味ある分野の話をうちの両親とできるというのがいいみたいだ。超理系畑の義父は歴史やら宗教の話をできる場所はあまりないだろう。我が家はいつでも歴史やら社会情勢やら理屈っぽい話でまみれた家庭だからな…この日も仏教だ、ウシャニパッドだ、イスラムだ、宇宙だなんだかんだ、言っていた。そんななか義母はいつも通り素っ頓狂な発言をしたり、夫(義父)への恨み節を披露したりして楽しんでいた模様。12時近くまでしゃべって就寝。

3日目。両親たちは帰路につく。私たちはもう1泊。

午前中にやり残していたスイカ割りをやってがつがつスイカを食べてから両親たちを見送った。息子はさみしそうだったが、この日はO林の学生時代の友人宅へお邪魔する。

宿から3、40分の山あいに突然現れる市営住宅(全部1軒屋)。夫婦で木工をやっている夫婦+7歳の女の子と1歳の男の子の家。着いた頃には真っ黒に日焼けしたお友達姉妹遊びにきていて、息子ひるむ。様子をうかがいながら過ごす。お昼はおにぎりと、ひよこ豆のかき揚げ、絹さやの胡麻和えなどを作っておいてくれた。

ここまでくる道中もなかなかの山の中。そもそも田舎で暮らしたいと思って土地を探していたらしい。同じようにものづくりをしている移住者が多いようで、気の合う仲間はいるよう。こういう生活を見ると,やっぱり共通言語をもった友人が近くにいるのはいいなあとうらやましく思いつつも、独特の自然志向(田舎暮らし希望のひとはだいたいこれ)が、わたしには無理をすることになるし(好きではあるけど、身に付かない。ゆるくていい。)、仕事のことも考えると、いま住んでるくらいのところがほどよいんだろうなあ…と、今住んでる場所で手を打った(?)ことが腑に落ちるのだった。

ただ、魅力的ではある!そしてこどもがたくましい!なんだろ、すごく少ないこどもの人数のなかで密に関係を持って生活しているのが関係していたりするのか?とふと思った。良し悪しあるとは思うけど、これはこれで素敵である。

息子は微妙に距離を保ちつつ、アイロンビーズをやらせてもらったり,お友達の妹ちゃんとプールではしゃいだりしてそれなりに楽しんでいた。娘はたくさんたべて、寝たりさわいだりしていた。

印象的だったのは、お土産で持っていったソーダをお友達(姉)が飲みながら「しゅわしゅわひさしぶり。ふだんおかあさん買ってくれないから」と言ってたのと,おやつに出されたぶっといキュウリを手に、手作り味噌を奪い合いながら食べていた女子たち(息子もがんばっていた)。

帰りながら温泉施設に寄ろうと思っていたら、ちょうど無料開放の日だったらしく,全員で行くことに。これまた小さくふた山くらい超える道で、途中の景色がほんとに美しくて目を見張った。

温泉施設ではお姉さんたちが大フィーバーし、にわか大雨のなかの露天風呂で思いっきり泳いでいた。それをかたわらでおもしろそうに見ていた息子。なんか、へなちょこでおかしかった。地元の人が多いらしく、顔見知りが多い状態だったよう。

また会おうね〜と約束して宿へ。 

私たち家族だけでちょっとさみしい夕食。毎度のことながら全部食べるまでにごねまくる息子。親イライラ。はー第3者がいるって大事。

なんとか食べてから、宿の奥さんに蛍スポットに連れて行ってもらった。

田んぼのあぜ道を車でぐんぐん進み、懐中電灯無しでは真っ暗何も見えない。息子はやっぱり「かえる…」と言い始めたが無理矢理進む。

すると小さいひかりがちらほら。時期的に、小さなヘイケボタルだという。ふと目の前に弱ったのが落ちてきて手元で見ることができた。ほんの指先くらいの小さなホタル。宿のじいさんは昔、ネギの中に蛍を集めて持ってあるいたそう。なんて風流なんだ。ネギ臭そうだけど。

ふわふわ漂うホタルを見ながら車に戻って宿へ。10時頃就寝。

4日目。帰る日。いつも帰りたくなくなる。なにがいいって昔なじみだということ。子どもたちがリラックスして過ごせるからこちらもリラックス。

そして娘が1歳になった!でもとくになにも予定せず!おめでとう娘〜〜

午前中に宿を出て、新しくなった安曇野ちひろ美術館へ。スタンプラリーをして(こどもってスタンプラリー好きよね)ドリンク券もらったのでカフェへ。混んでいたので待っている間「にじみ絵」のワークショップ。息子が作ったのを缶バッチにしてもらう。チビたちを遊ばせてもらっている間に企画展をみる。世界各国の絵本作家の原画展。良かった。絵を描きたくなった。

美術館を出て穂高駅前のnavelという食堂へ。オーガニック界では有名なシャロムから独立したご夫婦の店。オーガニック料理がベースだけど、肉もあり。鹿肉のボロネーゼも大葉のジェノベーゼもとてもおいしかった。寝ていた娘が起きて、なにか食べられるものあるかと聞いたら、お惣菜にごはんとのりを添えて出してくれた。

腹ごしらえして穂高からノンストップで、帰宅。

…暑い!帰ったら、留守番のあんこが待ってましたと出迎えた。

ま、でも家は落ち着くな。

洗濯物を次々と処理。

また来年。